退 室 分類選択 閉じる
川崎在日コリアン生活文化資料館 資料室
分類: 在日一世の証言
DT009
強制連行されてた夫を追って 一九一九年生まれ、女性
日本に来た時は子供一人いて、主人は日本に徴用で来たの。主人は1月に来て、私は8月に来たの。その子供は伝染病にかかって死んだ。今まで生きていたなら66歳くらいになるね。夫が徴用に来て、はじめは九州に来たのよ。戦争の時、無理矢理に引っ張られてきて、日本が韓国に徴用で何人必要だからといわれると、無条件に明日、おまえも、おまえも行けというふうに言われて連れられて行くんだ。私のだんなは、私が正月に実家に子供と一緒に行っていた時に徴用されていたよ。3月に日本にいる主人から手紙があって「日本にいる」ってね。それで、日本に徴用されたことが初めてわかったの。はじめは行ったこともわからなかったの。それでも、主人のいない家に戻っていたんだけど、日本で、家族がいる人たちは日本に家族を連れてきてもよいとされて、手紙が来たの。それで、主人が迎えに来たの。その時、村では他に2人が来たの。もうひとりは、奥さんとお母さんを連れて行ったけど、私はひとり。主人が日本から迎えに来た時はうれしかった。あまり畑仕事が辛かったし、苦労したからね。何より、嫁の生活は大変だったからね。日本に来たら主人とふたりで楽じゃないの。その時、韓国で息子は伝染病で亡くなったからふたりきりだったの。 お釜と、お茶碗と布団で、生活が始まったの。そのときは21歳で、初めて仕事をしたのよ。石山に行って、近所のお嫁さんと一緒に、「あんたお家にいてもしようがないからお仕事に行こう」と言って。私も子供がいないし、彼女もいなかったからね。石炭の工場で働いたの。石炭を山のようにいっぱい積んでくるんだよ。その時はみんな手でそれをおろすんだよ。山のように積んである石炭の上に上がらなければならないの。恐くって、恐くって。それでも監督はちゃんとやれって言うんだよ。それをやると1日2円50銭しかくれなかったよ。少ないけど、家のおやじとふたりで一所懸命に貯めたのが90円貯めたの。開放される前の九州の時に、仕事も決められていて、嫌でもしなければならない。自分勝手に来た人はいいけど、私たちは徴用されて来ているから、自由にこの仕事あの仕事と言えなく、いくら辛くってもそれをやらなくてはならないし。本当に悔しい思いをしたよ。長屋で朝鮮人がいっぱい居るんだよ。はじめに、川崎に来る時は、朝鮮人が居るかなと思ったけど、来てみたらいっぱい居るんだよ。」
徴用
徴用と結婚
仕事がなくどぶろく作り
どぶろく
解放後
解放後の一時帰国のために 
帰国準備
子供の受けた差別
強制連行されてた夫を追って
夫が死んで必死に働いてきた
親の決めた結婚
差別を逃れて
逃亡
戦後の池上町(旧桜本3丁目)で暮らして
「特別在留をもらいに毎月入国管理局へ」
トラヂ会の楽しみ