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川崎在日コリアン生活文化資料館 資料室
分類: 在日一世の証言
DT003
仕事がなくどぶろく作り  一九一〇年生まれ、女性
解放になって3年後に川崎に来たんだ。戦争中に大阪を出て、家の2番目の息子が生後100日にならないうちに東京に来て、あの子が今五十五歳かな、戦争が終わり、田舎にいても食べ物もないし、お仕事もないし、大変だったのよ。子供は家にいっぱいいるし。毎日シャガイモ、サツマイモばかり食べたし。川崎駅前に昔は市電が通ったの。あそこの前にぱたぱたと平屋で4軒くらいあったの。5坪ないけど4万で売るというんで、その当時、お父さんが仕事の関係で毎日行ったり来たりしたので、市電の前の家を売るというんで一緒に行ってみたの。実際行ってみたら市電前だし、場所がいいんだ。占いをみたら鄭氏の人に関係あるところがいいと言われたんだ。ちょうど、その家を売る人の名前が鄭氏だったんだ。それで、主人の弟が大和で酒屋をして大金持ちだったから、そこで4万円を借りて買ったの。それを買って、なんだかんだそこでおでん屋をやって、8ヶ月はうまくいったのよ。しかし、そこも立ち退きになって、それで今住んでいるところに来たの。当時は地主がいないから、全部市で関係したから、市から5坪もらって、そこから出て行ったの。それで、2階建てるお金が出来たので2階建てたの。なにをやろうかなと心配していたら、知り合いのアジメがドブロクをやってるんで、うちもやることがなかったので、ドブロクの商売を始めたの。それも大変で、なかなか許可をくれない。だんだんやっているうち、隣の人もやることがなかったので、家を4万円で売ってもらって、お店を広くして、その隣の人も売ると言うんで20万円を人に借金して買ったんだけど、それは一番損したよ。その時が40代で今から40年もなる。私たちが住んでいるところに12軒の家があるけど、全部ドブロクのお店をやったんだ。警察が一ヶ月一回来ていたのが、週一回と年がら年中検査に来るの。近所で酒屋をしている日本人が警察に悪口言うから、悪く言われないように本当にタダみたくしたから、煮込み一皿とドブロクで40円しかもらわなかったの。だから皆そればかり飲んで。煮込みはタダでしょう。肉買って、腸を買ってそれを洗い作ったから大変な仕事だったよ。娘たちも手伝ったりして。
徴用
徴用と結婚
仕事がなくどぶろく作り
どぶろく
解放後
解放後の一時帰国のために 
帰国準備
子供の受けた差別
強制連行されてた夫を追って
夫が死んで必死に働いてきた
親の決めた結婚
差別を逃れて
逃亡
戦後の池上町(旧桜本3丁目)で暮らして
「特別在留をもらいに毎月入国管理局へ」
トラヂ会の楽しみ