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川崎在日コリアン生活文化資料館 資料室
分類: 在日一世の証言
DT008
子供の受けた差別 一九二五年生まれ、女性
長女と長男は朝鮮学校にやってたんですが、後に新宿の民族学校に編入させました。あとの子供は皆、日本の学校を卒業しました。長男は、電気の専門学校に進みました。娘が小さい時のことですが、同級生の女の子と娘が家の前でままごとをして遊んでたんです。そしたら、その子の母親が朝鮮人と遊ぶなって子供に言ったんです。それを聞いて私は、そんなに大事な娘なら家から外に出さなきゃいいでしょって言ってやった。次男は、朝鮮人はどんなにがんばっても日本では差別されるからって、医者を目指したの。でも、医学部は無理で、薬学部に進んだの。学校に行ってる間はずっと通名を使っていて、友人の誰も韓国人だって知らなかった。明るい性格で、人気もあったのよ。卒業式の時、本名を呼ばれて皆に知られたの。次男は、担任の先生に通名で名前を呼んでもらえるよう頼みにいったんだけど、だめだって言われてね。200人ぐらい居る教室で、名前が呼ばれて次男が証書をもらいに行った時、場内がどよめいたって言ってた。もう一人、朝鮮人の生徒がいたんだけど、同じ境遇だって、お互いに知らずにいたのよ。次男は同じ薬学部の同級生の女の子とずっと付き合っていたんだけど、自分が韓国人だって教えてなかったの。で、卒業式の時に本名で呼ばれればわかってしまうから、事前に話しておこうと思って話したんだって。そしたら、その娘は日本人なんだけど、父親が韓国人なんだって。その娘もそういうことをいつ話そうって思っていたんだって。結局、二人は結婚したんだけど、いい嫁で、家事もするし、薬剤師の仕事もするし、うまくいってる。次男夫婦は帰化する話もあるの。次男は大学を卒業してA製薬に勤めた。病院に薬を卸すセールスで、成績も良かったんだけど5年で辞めた。韓国人だと昇進できないからって。それで薬剤師の資格をいかして夫婦して薬局を始めたの。だから、私、薬を買ったことがない。いつも息子がくれる。進学や就職の時に次男には泣かれた。「韓国人に生まれるのはいい。でも、なんで日本で俺を産んだんだった」って。韓国で産んでくれたらよかったのにって。それでも、子供たちは皆、ぐれずに育ってくれた。娘は全員21歳か22歳で嫁に行った。引く手あまたで仲人が頻繁に家にやって来たものです。ものすごくお金持ちってわけではないけど、おのおの何不自由なく暮らしているし、孫たちも皆健康で言うことないです。家の近所に3軒ほど朝鮮人の一家が住んでいます。そのうち1軒の家族とは親しくしていますが、あとは挨拶する程度。同胞の友達が多いですが、何でも話せる友達はいないわね。
徴用
徴用と結婚
仕事がなくどぶろく作り
どぶろく
解放後
解放後の一時帰国のために 
帰国準備
子供の受けた差別
強制連行されてた夫を追って
夫が死んで必死に働いてきた
親の決めた結婚
差別を逃れて
逃亡
戦後の池上町(旧桜本3丁目)で暮らして
「特別在留をもらいに毎月入国管理局へ」
トラヂ会の楽しみ