hist013
徴用を免れるために結婚(14歳)
オ・チャドさん
(女性 81歳)
足跡:韓国慶尚南道ウルン市→群馬の甲府→愛知→福井→京都→鶴見

〈戦後の在日朝鮮人運動への参加を問われて〉
 私、そんなことをする余裕がなかったです。主人もそういうのはしなかったの。とにかく、自分と子供たちのために働かなくちゃ行けなかった、ただそれだけです。ただ夢中で、明日のご飯が食べられるために仕事をしていたんです。泥棒をやったら捕まれるけど、仕事なら自分の体は動くから、そういう時には動いてとった金だから。それで子供たちを食べさせてやったの。(運動してたのは)人によります。その場合は精一杯動かないと。(私の場合は)子供4人を残して四〇代で主人なくしたでしょう?だから、その子供が成人になるまで働かなくちゃいけなかったでしょう? 大変
でしたよ。

〈韓国を訪ねて、自分が変わったことに気づく〉
 「私の生まれた田舎の家へ行ったんです。それで行ったら、やっぱり日本へ行って良かったなと思いました。うちの次男、京都で生まれた子が、「オモニ、日本へ行って良かったね」って。こんなところはトイレも何もかもすごかった。昔のままだった。その上、私の子供の頃の面影は何にもなかった。私がそれだけ変わっちゃったんですね。近所や知り合いの人にあっても、知ってる人がいなかったんです。親戚がいたから、その親戚と会って食事もしたりして帰ったんですが、もう五〇年位経ってたから。」
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!