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来日していた男性との結婚を決められて(17歳)
イ・マルスンさん
(女性 82歳)
足跡:
韓国慶尚南道コスン郡(釜山の近く)

〈配給の豆で味噌や醤油を作る〉
 食べ物は、手に入らない、豆が配給で入るから、みそもしょうゆも作った、自分で作るんだ、豆を水につけておくとやわらかくなるから、それから煮て、すりつぶすの、それを丸めて、おにぎりなんかよりもっと大きいの、それをわらで包んで、家の中に干しておく、そうすると表面が乾いてくる、それを今度、甕の中に入れて塩を沢山いれておくと、しょうゆがとれるの、その残りが味噌、両方いっぺんに出来る、長くもつから、ご飯に味噌か醤油というのが食事、豆があれば豆腐も自分で出来るし、そういうのの作り方はお姑さんから教わったり、周りの人に聞いたり、水につけて、蒸すの、それを臼で粉にして、ぱらぱらになったら、海の水を入れるの、海の水じゃないと固まらないの、こうじとね、海は近くだったから、私が汲みに行って、それは大津の時の話ね。

                              <音声データなし>
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!