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ハルモニたちの公共性、公益性

2009 年 8 月 7 日 edt01sz

e794bbe5838f01 地域を歩くと、ハルモニのいる家庭がなんとなくわかる。軒先に発泡スチロールのプランターが置かれ、唐辛子やエゴマが植えられている。ほとんどが朝鮮の農村出身の在日一世は、土と緑を愛し、食べられる野草の知識が豊富だ。朝鮮半島で多くの野草、野菜を食する文化が育ったのは、医食同源の生活文化が守り育てられたこともあったのだろうが、植民地支配下の朝鮮の農村を 米生産基地にしようと収奪破壊した結果として、やむなく食べられる草はなんでも食べるようになったのだという識者の話を伺った。生まれ育った朝鮮の農村でそうであったように、互いに種を分け合い、技術を分け合って、日本の朝鮮部落の中で、民族の味を守り、味噌、しょうゆ、どぶろくづくりが戦中戦後、ひそかに受け伝えられてきた。わが街もそうであったに違いない。使われていない場所があれば、土を育て、唐辛子を植え、分かち合うというのは、在日コリアン高齢者の公共性、公益性に他ならない。しかし、日本の地域社会では「使われていない土地」を有効利用することは、公共性に欠けるとされた。「公」から排除された在日コリアンの公共性と、日本人市民の公共性は、地域生活の中で軋轢を生じさせてきた。発泡スチロールのプランターに、戦中戦後の何もない中で民族の味を守り、文化を守ってきた在日コリアンの公共性を見て取れる。そして、トラヂの会の会場となっている交流センターのまわりも、どんどん「有効利用」が進んでいる。

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