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川と葦と戦争

2009 年 7 月 17 日 edt01sz

 日本が脱亜入欧、軍事国家の道を突き進む時代状況に合わせるように、私たちの街も変貌していきます。軍需産業の基地として埋め立て事業が進められる1920年代30年代、この街は東京湾にそそぐ川、埋立地の「新田」水耕地と果e794bbe5838f-28樹園、沼地湿地帯の葦林が全てでした。戦争の本格化と共に、大きく変貌する街。大島の八幡神社では、今も砲弾を抱えた狛犬が祭られ、国家神道に進む神社、戦勝祈願の時代を想い起こさせます。

e794bbe5838f-00藤崎協同クリニック横の大きく蛇行し、池藤橋につながる道路は、観音川の暗渠となった道路。川が暗渠となり、生活道路を寸断するように労働者を工場地帯に運ぶ幹線道路が駅から放射線状に整備され、社宅が立ち並んでいく時代を見据えて、かつての観音川の橋の欄干の一部が、信号交差点の陰に隠れて立っています。

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