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2009 年 7 月 のアーカイブ

これぞ多文化盆踊り! ハルモニは一流の多文化人!

2009 年 7 月 30 日 edt01sz Comments off

e5a49ae69687e58c96e79b86e8b88ae3828a-1 多文化盆踊りと銘うって、チャンゴと和太鼓を真ん中において、29日の夕方、「夜のトラヂ」を実践しました。盆おどりの師匠の川岸さんが、がんばっていくつか浴衣も準備してくれたので、初めて来て大喜びのハルモニの横に、「そんなもの着ないよ」という顔のハルモニ、私はこれよとすてきなチマチョゴリのハルモニもいる。100円屋台が並び、総勢80人のハルモニたちが、夕暮れの涼しい時間にトラヂの庭に出た。炭鉱節やら東京音頭やらかわさき音頭やらの曲に合わせ、これまでトラヂの会のときに何回か練習してきたハルモニたちが、本番とばかりに浴衣姿で踊りの輪を作った。6曲ほど踊ったところで、「韓国の民謡も流せ!」というリクエスト。「それでは、韓国の民謡を流します」とアナウンスすると、いきなり89歳のハルモニが歌いだす。盆踊りに入らなかったハルモニがオッケチュム(肩を揺らしたおどり)で入ると、浴衣姿のハルモニも、混ざって踊りだす。テープにあわせるなどということはしないので、生歌、生踊りが始まると、マイクのリレーが始まる。20年~30年前の結婚式で見られた風景だ。マイクに並ぶハルモニたち。そこへ、今度は、浴衣からハワイヤン衣装に着替えたハルモニが4人、マイクの横に待機して、e5a49ae69687e58c96e79b86e8b88ae3828a-3音楽を流せと促す。そして、コリアン民謡時間を奪い去って、フラダンスが始まる。そうすると、フラダンスのリズムに合わせて、養護学校出身の2人の青年が、学校時代、和太鼓部だったんだと和太鼓でリズムを打ち始める。これが、結構しっかりリズムをとって、フラダンスに合う。フラダンスの踊りにも、和服のハルモニが参加し踊る。さらに、ケアホームの障害のある青年たちも参加してくれているし、近所のアルコール・薬物依存の自助グループ「ロイハウス」の一団が、ビールに酔い歌い踊る盆踊りの会場に参加してくれたが、踊りの輪に入れず、離れて屋台の料理に箸をつけている。そこへかわいい浴衣姿の親子連れもやってきて「かきごおり」を求めてくれた。むちゃくちゃな多文化盆踊りは、何の演出もなく、自然に流れる。多文化は個性ある自己表現なくしてはなかなか成り立たない。ハルモニたちは、これからの多文化社会を生きる一流の多文化人であることを改めe5a49ae69687e58c96e79b86e8b88ae3828a-2て感じた。同時に、自分の単一文化人の貧しさも痛感しe5a49ae69687e58c96e79b86e8b88ae3828a-4た。

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ハルモニの絵 しめじ

2009 年 7 月 30 日 edt01sz Comments off
e3838fe383abe383a2e3838be381aee7b5b5e38197e38281e38198-e38286e38199e382937月28日
  「シメジ」を描きました。
  普段、おみそ汁の具にしたり、炒め物にしたり、お手ごろ価格で、気軽に食べている「シメジ」。
  シメジを描くと聞かされて、傘が重なり合って複雑なのにどうやって描くの?と、少々、緊張したハルモ二の
  顔でしたが、始めてみれば、楽しいお絵かきタイムとなりました。
  お絵かきは、今回で29回。運良く、休まず描くことができた人は、29種類の絵を描いたことになります。
  このごろでは、赤、青、黄色、の三原色と白で、自分の見たモデルの色をつくりだすのにも、慣れてきて、
  「あんた、その色いいね。どうやって作ったの?」「そこ、うまく本物そっくりに描けたね」などと、楽しい会話が
  いきかいます。
  「シメジって食べるだけで、こんなによく見たことなかったけど、可愛い形してますね」と、しっかりハルモニたち  
  に見つめられたシメシたちは、結局は、昼食のおみそ汁の具になって、ハルモニのお腹に入りました。
  終わってみれば、ハルモニのどの作品も、シメジの可愛さ、ハルモニそれぞれの個性を表現した素敵な作
  品に仕上がりました。  
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暑中見舞い

2009 年 7 月 30 日 edt01sz Comments off
                                                                7e3838fe383abe383a2e3838be38199e38184e3818be69a91e4b8ade8a68be8889ee38184-001s月21日
 暑中見舞いのハガキを書きました。ハガキは、6月のお絵かきのときに、ハルモニたちがそれぞれ描いた、「食べかけのスイカとアリ」を印刷したものです。日ごろお世話になっている人や、普段、会う機会のない友だちや、孫たちに、自分の描いた絵入りのハガキで書くのは、とても嬉しいことでした。「暑中お見舞いもうしあげます」という挨拶文を書いたあとは、相手の人の様子を尋ねたり、相手の人への自分の気持ちを書いたりしました。
 ハルモニたちは、年に一度の年賀状、暑中見舞いで、返事のハガキをもらったり、受け取ったとの電話をもらったりすることが、ことのほか嬉しいようで、それを楽しみに書くという人がほとんどです。
      
     
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川と葦と戦争

2009 年 7 月 17 日 edt01sz Comments off

 日本が脱亜入欧、軍事国家の道を突き進む時代状況に合わせるように、私たちの街も変貌していきます。軍需産業の基地として埋め立て事業が進められる1920年代30年代、この街は東京湾にそそぐ川、埋立地の「新田」水耕地と果e794bbe5838f-28樹園、沼地湿地帯の葦林が全てでした。戦争の本格化と共に、大きく変貌する街。大島の八幡神社では、今も砲弾を抱えた狛犬が祭られ、国家神道に進む神社、戦勝祈願の時代を想い起こさせます。

e794bbe5838f-00藤崎協同クリニック横の大きく蛇行し、池藤橋につながる道路は、観音川の暗渠となった道路。川が暗渠となり、生活道路を寸断するように労働者を工場地帯に運ぶ幹線道路が駅から放射線状に整備され、社宅が立ち並んでいく時代を見据えて、かつての観音川の橋の欄干の一部が、信号交差点の陰に隠れて立っています。

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韓国の若者の訪問公演に大感激

2009 年 7 月 17 日 edt01sz Comments off

   7月15日のトラヂの会には、韓国の教会の国楽宣教団の訪問と伝統芸能の公演をして いただいた。パンソリ、カルチュム、タルチュム、サムルノリなどの伝統芸能を、若者たち30名がかわるがわる演じてくれた。集団がかもし出す高揚感に包まれ、ハルモニ方は、いたく感動し、エンディングの踊りの輪にみんなが立ち上がった。ハルモニたちにとって、心の中で、国境をつなぐ作業となったに違いない、大きな、感動が伴なっていた。

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桜本小学校の子どもたちの七夕劇公演

2009 年 7 月 10 日 edt01sz Comments off

o0-0047月8日のトラヂの会に、桜本小学校2年生の子どもたちが来て、韓国・朝鮮の七夕(チルソク)の話を劇にして演じてくれました。

かわいい民族衣装に、ハルモニ方は大歓声をあげ、カササギの登場する話に懐かしさを感じた人もいらっしゃいました。

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伐採された「うんげ」の木

2009 年 7 月 6 日 edt01sz Comments off
e794bbe5838f-034 「あの木を写真に残しておこう!」亡くなられたハルモニのご自宅前の公園に立つウンゲの木。かわさきのハルモニ、ハラボヂがこよなく愛する木で、4月になると若葉を刈り取って、ナムルにして食べる。ウンゲと呼ばれているが、正式名称かどうかも判らないし、慶尚南道のサットリ(方言)なのか、韓国人留学生に聞いても判らない。収穫時期が4月中旬から10日間ほどしかないのも、人気の秘密なのかもしれないが、遠足で、山にその木を見つめようものなら、観光バスさえ停車させるほど、目の色を変えて探し回る。
 わが街、特に池上町(朝鮮人集住地域)には、そこかしこに植えられている。在日の多くの家庭では、健康保険がなく、西洋医になかなかかかれなかった生活史も手伝って、伝統的な医食同源の食文化が継承され、野草の知識が蓄えられてきた。また、朝鮮の農村育ちの在日一世は、何もない戦中戦後の異国の地で、民族の味を守るため、路地や空き地に唐辛子を植え、ゴマの葉を植えた。生きることに必死で、自らの力にのみしか頼れなかった彼らは、「使われていない」場所を探しては、耕し、土を育て、そこに食べられるものを植えたのである。在日の家庭の前の公園に聳え立つウンゲの木。きっと、「使われていない」ところにハルモニが植え、育て、いつしか立派な木となって、公園が整備される中、公園の木として位置づいたのだろう。「はりきり」という和名の札が、行政によってつけられた。使われてない場所を有効活用したハルモニの実力行使が、立派に公共に同化していて、ひとりほくそ笑む。若い時に、山から持ってきて植えられたウンゲは、何度も収穫祭を迎え、時代の流れの中で、公園の一角を占め、役所によって名札が記された。在日の生活史を現す木を写真に収めようと、6月のある日カメラを持って出かけると、久々に、その娘さんにあった。「虫が食っていたとかいって、役所の人がたった今、切っていったのよ」「え!!」日本の中で辛酸を嘗め尽くす生活を強いられ、それでもどっこい生きてきた在日一世の生活を物語るものが消えていく。私たちの記録化も急がねばならない。
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