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‘4 川崎の街を記録する’ カテゴリーのアーカイブ

むくげ咲く街

2009 年 9 月 2 日 edt01sz Comments off

mukugeむくげが咲き乱れる季節です。6月から咲き始め、10月頃まで、私たちの目を楽しませてくれる。韓国名「ムグンファ」。韓国を代表する花だ。私たちの街には、この花を日本と韓国・朝鮮の架け橋にしたいという想いで植えられた場所が3箇所ある。一つ目は、ふれあい館の周り。開館当時は、韓国の花 むくげと朝鮮民主主義人民共和国の花「つつじ(ちんだるれ)」が植え込みに並んで植わった。(その後、共和国の国の花はかわった)二つ目は、「コリアタウン実現を目指す焼肉料飲業者の会」の音頭とりで、ふれあい館近くの水門通りに、植えられた。三つ目は、桜本小学校の体育館脇に並んで植えられた。桜本小学校のふれあい教育の象徴としての想いが込められた。

 この街の共生を願う人たちのまなざしを受けて、今が見ごろのムグンファが咲く街である。

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桜本のチョゴリやさん

2009 年 9 月 1 日 edt01sz Comments off

e8b387e6969932  桜本小 学校の前にかかっている看板は、チマチョゴリやさんの看板です。今は亡き盧末南ハルモニが、川崎に来て守り続けたお店でした。がんばりや盧ハルモニは、たくさんの伝説を残してくれました。川崎に夜間中学ができた時、一番で入学し、その後、定時制高校にまで進んだハルモニは、民族の誇りの象徴でもあるチマチョゴリの仕事で、長く生計を立てました。自らの誇りとして営んできたチョゴリやさんも、需要の落ち込みとご高齢により休業せざるを得なくなりましたが、看板だけは、おろしたくないと生前おっしゃられていました。2008年に亡くなられるまで、川崎のハルモニ、ハラボヂの活動のリーダーでがんばってきました。看板を見るにつけ、盧ハルモニの刻んできた生活史を思い出します。

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ハルモニたちの公共性、公益性

2009 年 8 月 7 日 edt01sz Comments off

e794bbe5838f01 地域を歩くと、ハルモニのいる家庭がなんとなくわかる。軒先に発泡スチロールのプランターが置かれ、唐辛子やエゴマが植えられている。ほとんどが朝鮮の農村出身の在日一世は、土と緑を愛し、食べられる野草の知識が豊富だ。朝鮮半島で多くの野草、野菜を食する文化が育ったのは、医食同源の生活文化が守り育てられたこともあったのだろうが、植民地支配下の朝鮮の農村を 米生産基地にしようと収奪破壊した結果として、やむなく食べられる草はなんでも食べるようになったのだという識者の話を伺った。生まれ育った朝鮮の農村でそうであったように、互いに種を分け合い、技術を分け合って、日本の朝鮮部落の中で、民族の味を守り、味噌、しょうゆ、どぶろくづくりが戦中戦後、ひそかに受け伝えられてきた。わが街もそうであったに違いない。使われていない場所があれば、土を育て、唐辛子を植え、分かち合うというのは、在日コリアン高齢者の公共性、公益性に他ならない。しかし、日本の地域社会では「使われていない土地」を有効利用することは、公共性に欠けるとされた。「公」から排除された在日コリアンの公共性と、日本人市民の公共性は、地域生活の中で軋轢を生じさせてきた。発泡スチロールのプランターに、戦中戦後の何もない中で民族の味を守り、文化を守ってきた在日コリアンの公共性を見て取れる。そして、トラヂの会の会場となっている交流センターのまわりも、どんどん「有効利用」が進んでいる。

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川と葦と戦争

2009 年 7 月 17 日 edt01sz Comments off

 日本が脱亜入欧、軍事国家の道を突き進む時代状況に合わせるように、私たちの街も変貌していきます。軍需産業の基地として埋め立て事業が進められる1920年代30年代、この街は東京湾にそそぐ川、埋立地の「新田」水耕地と果e794bbe5838f-28樹園、沼地湿地帯の葦林が全てでした。戦争の本格化と共に、大きく変貌する街。大島の八幡神社では、今も砲弾を抱えた狛犬が祭られ、国家神道に進む神社、戦勝祈願の時代を想い起こさせます。

e794bbe5838f-00藤崎協同クリニック横の大きく蛇行し、池藤橋につながる道路は、観音川の暗渠となった道路。川が暗渠となり、生活道路を寸断するように労働者を工場地帯に運ぶ幹線道路が駅から放射線状に整備され、社宅が立ち並んでいく時代を見据えて、かつての観音川の橋の欄干の一部が、信号交差点の陰に隠れて立っています。

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伐採された「うんげ」の木

2009 年 7 月 6 日 edt01sz Comments off
e794bbe5838f-034 「あの木を写真に残しておこう!」亡くなられたハルモニのご自宅前の公園に立つウンゲの木。かわさきのハルモニ、ハラボヂがこよなく愛する木で、4月になると若葉を刈り取って、ナムルにして食べる。ウンゲと呼ばれているが、正式名称かどうかも判らないし、慶尚南道のサットリ(方言)なのか、韓国人留学生に聞いても判らない。収穫時期が4月中旬から10日間ほどしかないのも、人気の秘密なのかもしれないが、遠足で、山にその木を見つめようものなら、観光バスさえ停車させるほど、目の色を変えて探し回る。
 わが街、特に池上町(朝鮮人集住地域)には、そこかしこに植えられている。在日の多くの家庭では、健康保険がなく、西洋医になかなかかかれなかった生活史も手伝って、伝統的な医食同源の食文化が継承され、野草の知識が蓄えられてきた。また、朝鮮の農村育ちの在日一世は、何もない戦中戦後の異国の地で、民族の味を守るため、路地や空き地に唐辛子を植え、ゴマの葉を植えた。生きることに必死で、自らの力にのみしか頼れなかった彼らは、「使われていない」場所を探しては、耕し、土を育て、そこに食べられるものを植えたのである。在日の家庭の前の公園に聳え立つウンゲの木。きっと、「使われていない」ところにハルモニが植え、育て、いつしか立派な木となって、公園が整備される中、公園の木として位置づいたのだろう。「はりきり」という和名の札が、行政によってつけられた。使われてない場所を有効活用したハルモニの実力行使が、立派に公共に同化していて、ひとりほくそ笑む。若い時に、山から持ってきて植えられたウンゲは、何度も収穫祭を迎え、時代の流れの中で、公園の一角を占め、役所によって名札が記された。在日の生活史を現す木を写真に収めようと、6月のある日カメラを持って出かけると、久々に、その娘さんにあった。「虫が食っていたとかいって、役所の人がたった今、切っていったのよ」「え!!」日本の中で辛酸を嘗め尽くす生活を強いられ、それでもどっこい生きてきた在日一世の生活を物語るものが消えていく。私たちの記録化も急がねばならない。
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かわさき

2009 年 5 月 17 日 admin Comments off

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