タイムカプセルを探しに…
金惠玉
まるで、タイムマシンにのってタイムスリップしたような旅でした。
1992年から2000年まで住んでいた下関、あの頃はまだ港に三井倉庫群が残っていたのを憶えています。昔、強制連行された朝鮮人たちが一時収容されたところでした。また、下関港にあった水上警察は、スパイや政治犯を摘発するという名目で、特高警察がいたところだったそうです。私たちが来て、まもなく証拠を隠滅するかのごとく、倉庫群は取り壊され、水上警察もこれまでのイメージを塗り替えるかのように、新しくなりました。
私の住んでいた在日大韓基督教会下関教会は、小高い丘の上にまるで町の象徴かのように建っていて、その立派なたたずまいに来た当初は驚いたものです。しかしその印象とは裏腹に、教会の周りには火葬場、刑務所、改良住宅、朝鮮学校、下関にとって目障りなもの(?)不要なもの(?)がそこに集約されているといっても過言ではないくらい、打ち捨てられ、見放され、行政も介入しない、火事になっても消防車すらこないところがトンクルトンネといわれる朝鮮部落でした。まだあの頃はすり鉢状の大きな穴(低地)にいくつものトタン屋根の長屋が立ち並び、朝鮮のハルモニたちが暮らしていました。昔はそこで、豚を飼っていたそうです。
私自身も朝鮮部落に住んでいた記憶があり、また転々とする夫の職業柄、いろいろな朝鮮部落を見てきましたが、低い大屈の中で生活をしている、これほど貧しい集落をみたことがありませんでした。そこから、一人のハルモニは白いチマチョゴリをきて教会に通って来ていました。そんな記憶もカプセルに詰めて大事な宝物として心に残っています。
強制連行で、自力入国で、最初に足を踏み入れた日本の地が下関。命からがら海を渡り、死に物狂いで生活をし、いずれ故郷に帰るのだと夢を描きながら果てていった、わたしたちのオモニやアボヂたちの日本での原点が下関。川崎のハルモニたちと一緒にここに来ることで、その歴史が蘇ってくるようでした。モノクロの写真のイメージでしか想像できなかった風景が、色をおびてリアルに映し出される、そんな不思議な感覚でした。下関・昭和館跡地では幼かったころの思い出が蘇ってきて、喜びでいっぱいになっていたハルモニ、草木が生い茂って跡形もなくなっていた炭坑地をみて、憤りをぶつけていたハルモニ、数々訪れた炭坑地で、自分の経験をぽつりぽつりと話してくれたハルモニ…。そんな心の奥深くに埋めてあるハルモニのカプセルに触れることができた素敵な旅でした。一緒にタイムトラベルできたことを感謝します。
韓国併合から100年の時が経った今も、ハルモニ・ハラボヂの人権は踏みにじられたままです。日本はすべてをうやむやに消し去ってしまうため、生き証人たちがこの世からいなくなるのを待っているかのようです。しかし私たちは、在日一世たちが凄まじく生き抜いた歴史をしっかり刻み、ハルモニたちが生きている今(限られた時間であっても)と歩んできた苦難の足跡を、誇りを持って次の世代へと語り継いでいきたいと思わされた旅でした。
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