旅の記録 
 
・炭住跡
 三井、田川地区。最後の炭住跡が少しだけ残っている。最後の取り壊し前の現存する炭住群を見せてもらった。他は改良住宅(市営住宅)に建て代わっていっている。一番困ったのが風呂だそう。今までは大きな風呂があって、みんなそこに入って行った。だから風呂だけは新しく作った。犬養さんも、30年余前に、炭住にすんで地域活動を始めたそうだ。炭鉱跡も、埋め立てられてほとんど残っていないそうである。

 
  

炭鉱長屋での暮らし

(徐類順さんのお話)

 私がいた静岡の銀山の長屋もこんなかんじ。道幅なんかも、ちょうどこんな感じだね。あの頃は、長屋はみんな助け合い。マッチもそうだし、お米もそう。お米がなくても借りる。お醤油がないと、ちょっと隣のうち行って「ちょっと、お醤油貸して~」なんてね。情があったね、人情が。静岡の銀山のところには温泉があった。そこで仕事が終わったら入ってね。ああいう長屋を見ると(その頃の記憶が)浮かんでくるね。
 

(金芳子さんのお話)

 お風呂は共同だよ。一日が終わったら入りに行く。風呂からあがったら、お風呂のところに積んである薪を1個しょって帰るのが日課。なんでかって? 薪は家でご飯炊くのに使うじゃん。そのために持って帰ってくるの。いいんだよ。炭鉱のものは家のもの!うちらは汗かいて一日働いてんだから、親子で。
 


 いやー、炭鉱めぐりも奥が深いね。忘れたころに炭鉱なんて。よく長く生きたわ
                                  (ハルモニのつぶやき)

 
  
在日コリアン一世の炭鉱労働を学ぶ
下関・筑豊フィールドワークの旅
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