田 中 富 美 江

 沖縄の旅は、沖縄知事選の三日後でした。惜しくも与党が押す知事の誕生になってしまい、
革新統一候補を支援した私たちとすれば、誠に残念の結果でした。
 「教育基本法改悪」反対の国会前・ヒューマンチェーンの集会に参加した時に、沖縄選に勝てる自信を持ったらしい政府は、基本法改悪の強行採決をするのではないかとの情報が流れ、嫌な予感がしました。どちらも残念な結果になってしまいましたが、多数勢力にはかないません。私たちがやがては多数勢力になるか、また少数意見も尊重される、そのような時代が来たら、なんと嬉しいことでしょう。
 はんめたちとの旅、今回もとても楽しく、そしていろいろ新しいことを知ることができた有意義な旅でした。特に、知花昌一さんに迎え入れて頂き、読谷村の高齢者の方々との交流をもてたことは、とても貴重なことでした。激しかった沖縄戦の体験と、そして戦後の厳しい生活を語る読谷の高齢者、差別・抑圧を余儀なくされた在日の苦境を語るはんめ、私たちヤマトンチュとして、日本人として、ただただ、頭をたれて聞くのみでした。
 いまは、それぞれお元気で、平安に暮らしておられる皆さんですが、これからも健康な生活を送ることができるよう祈ります。
 チビチリガマのこと、平和の像の作製のことは、事前学習「ゆたんざ沖縄」の映画で詳しく知ることができました。鬱蒼と生い繁るガマの入り口での証言は惨酷さが胸に迫ります。嫁ぎ先から生家の家族の安否を確かめに帰った与那覇さんは一家全員の集団死を知らされ、とても生きていけないと思ったと…、碑の一家の名前を指差しました。以前、南部戦跡を訪ねた時、戦争が終結しても家族の誰一人帰らなかった家の跡に、慰霊碑がひっそりと建っていて、溜息と目尻に鯵む涙がどうしようもありませんでした。与那覇さんの話と同じです。子どもを抱え煙が巻くガマから這い出し、辛うじて生き残ったカマドさんの話もまた悲しいです。
 辺野古の反基地の運動を支援している友人から、「恨の碑」の建立を聞いていたので是非行きたいと思っていました。平和の像と同じ金城実さんの作です。銃を持った日本兵の足にしがみつく朝鮮女性、その碑文を読んで言葉を失いました。東シナ海を望む丘の“石碑”は、まさに“恨”です。軍夫、慰安婦として強制連行された多くの朝鮮半島の人々、その調査もきちんとされないまま、未だ差別の中です。傷みを共有する沖縄と韓国とは、よい交流がもたれていると聞いていますが、平和の発信は沖縄にこそあると改めて思いました。足元に韓国から持って来たという石が並べられてありました。はんめがその石を撫でていました。心の内の望郷は如何に…‥。
 最後の日は、平和公園の韓国人慰霊碑を尋ねて碑の前で酒を手向け、アリランを声高く歌いました。
 沖縄ワールドで若者の力強いエーサーを見物しました。踊り手が見物客をジーッと見つめ、その視線が自分に向けられているような錯覚に陥り、踊りに次第に魅せられていきました。若者がこんなに生き生きと踊っています。沖縄の選挙の応援に行っていた某市の市議が、観光収入は基地収入の倍もあるんだよといっていましたが、沖縄が基地に頼らず観光を主力として立っていけたらと、このような若者たちによる素晴らしい文化の沖縄の未来をイメージしました。

 今回、同室だったはんめは、93歳の末南さん,86歳の粉祚さん,82歳の福順さんでした。彼女たちのバイタリテ一には感服しました。どの見学場所も一つも逃すことなく、バスにどっかり座って疲れたかのように見えても、ひと眠りするとまたしっかりと歩かれます。ガマの階段も、座喜味城の城壁も全部歩きました。拍手です。
 二泊三日の旅をお世話して下さった皆様“楽しい旅”をありがとうございました。