くらし


 何もない厳しい生活を支えたのは、朝鮮の女性たちのたくましさでした。戦中、戦後の何もない時代、それでも、朝鮮の味を家庭に守るため、とうがらしやごまの葉の苗が出回りました。公園や路地の小さな場所に苗を植え、育て、キムチをつけ、それで、食卓を守りました。朝鮮の農村で育ったハルモニたちは、薬食同源で、緑豊かな季節には草木を採取し、身体にいい食べ物を分かち合いました。
チェサで並ぶ料理
 民族差別の厳しい中、民族を守り、地縁、血縁での支え合いでしか生活できなかった中で、チェサ(祭祀)は、大きな意味をもっていました。先祖の命日や、旧正月、旧盆に行われる祭事であり、一族の一大セレモニーでした。祭礼のあとにしばしば、生き方が年長者から説かれ、民族差別の中「一人の従業員でも社長になる」生き方が、尊ばれ、どれだけ自分自身に力をつけるのかという被差別の中の人生哲学が形成されました。在日としてのアイデンティティをはかる場のひとつとして機能しましたが、お酒を飲んで激論する大人たちが嫌で嫌でたまらないという原体験をもつ在日2世、3世もまた多くいました。

 商売をして生計を立てる人も多い中で、金融機関の民族差別も大きな課題でした。民族差別による不安定な就労状況が、金融などの分野で「朝鮮人への融資には気をつけろ」という差別を新たに再生産しました。やむなく、無尽という私的関係での資金調達を余儀なくされ、持ち逃げなど、無尽にまつわる共同体崩壊も多く存在しました。
在日韓国・朝鮮人を取り巻く厳しい社会状況の中で、どっこい生き抜く力強い若き日の「ハルモニ」たちの歩みがありました。